奇妙な人々
ホストも無事帰ってきて店番をすることはもうなくなったのだがその分フリーな時間が増えとの強い毎日を送ることができている。
ここでのお手伝いの内容としては朝と夜犬たちのゲージを掃除してご飯をあげるというのがメインの仕事でありそれ以外の時間は自由時間としてホストに与えられているため日中は自由な時間である。
ただそれだけが仕事と言っても今現在ここには犬が40匹ほどいるためご飯をあげる等単純作業でも数が数なためなかなか大変であり時間を要する。
昨日はその昼間の時間を使って今住んでいるこの街よりもさらに大きな街に遊びに行ってきた。高速で行くと二十分ほどで行けるのだがバスを使って行ったため1時間30分分ほどかかった。
カナダやアメリカに来てから日本にいた時よりもバスを使う機会が増えたのだが前から思っていたことで今日またバスに乗ってみて気づいたことがある。
それはなんかおかしい人が日本に比べて多くないか?ということだ。おかしい人という表現が正しいのかはわからないがなんかおかしい、変な人が日本よりも多い気がする。
具体的にいうとバスの中で奇声をあげたりブツブツみんなに聞こえるくらいの声量で独り言を言っていたりそういう感じのおかしい人をよく目にする。今日も街に向かっているバスの中でそのような人たちを4、5人見かけた。一人の男性は10分に一回くらい言葉なのかただ叫んでいるのかもわからないようなことを大きな声で叫んでいた。周りの人達も最初は驚きなんだこの人というような目で見ていたが叫ぶ頻度があまりにも多いためそのうち誰もその人を見なくなった。無意識に叫んじゃっているのかなとも最初は思ったが五回くらい叫んだところで運転手がうるさいから静かにしろというとその人は叫ばなくなった。
他にも街で乗車してきたカラフルなおばあさんがバスに入るなり明らかに独り言ではない声量の声で独り言みたいなのをブツブツ言っていたりしていた。そのような感じの人はこっちに来てからよく見かける。
そういう少し変わった人なのかとも思ったが運転手や他の乗客が注意するとそういう人たちはちゃんと静かにすることができる。それが逆に僕には不思議だった。
自己主張が激しいからそんな感じなのかわからないが日本ではあまりそういう人を見かけたことがなかったため僕には不思議でしょうがなかった。バスだけではなく街とかにも以外とそういう人はいる。この人狂っているのかなと思うくらい変なことをしている人だって街を歩いていれば見かける。
たまたま僕が訪れた地域がそういう人たちが多いところだっただけかもしれないがなんでそんなようなことをする人たちがいるのだろうか。
やはり自由の国アメリカというだけあって自己主張が激しい人が多いのだろうか。
そんなことをバスに乗りながら奇声を聞きながら、考えていた。
なんとも奇妙だった。
納豆がくれた感動。
日本を離れてからもうすぐ半年が経とうとしている僕だが日が経つごとに日本食への想いは積もっている。
日本食が食べたい。。。
これは常に思っていることだ。こちらの食事が合わないとかそういうことではない。普通に日本人として生まれてきて21年。日本食で育ってきて21年。
今まで食べてきたように普通に日本食が食べたいのだ。今まで日本食を食べて育ってきたんだから日本食が食べたいと思うことは普通のことだと思うし、こっちで美味しい料理もたくさん食べたけど日本食が食べたいというのは変わらない。
こちらの食事と日本の食事を比べて言っているわけではなく、こっちの料理も十分美味しいしこれらを食べて生活していくのは何の苦でもないけど日本人としてたまには日本食も食べたいなあ。こんな感じである。
こちらにも日本食のレストランはたくさんあるのだが、どうも行く気になれない。カナダに来てから初めて行った日本の寿司屋さんがあまりにも日本のお寿司と違いすぎてそこからどうせカナダで食事するならこっちのものを食べようという感じになってしまった。日本食が食べたいんじゃないのかよと矛盾してしまっているがカナダの日本食が食べたいわけじゃない。日本の本物の日本食が食べたいのだ。
そして最近僕に幸運が訪れた。今ステイしているこの家には日本人の従業員さんがいるのだがなんとその方が日本食をおすそ分けしてくれたのだ。ある日突然バックにパンパンに入った日本食を僕にくれた。中にはお茶漬けや納豆、日本産のお米に海苔やうどんやそばまで僕にとって最高でしかない日本食たちが詰まっていた。
僕は感動のあまりその人に多分合計5回くらいはありがとうございますと言っていた。そのくらい僕には最高のギフトであった。
しかもアマゾンで買いまくったと言っていたその商品たちは全部日本からの商品でありこちらで作られているものではないため僕が求めていたリアル日本食というわけだ。
その中でも特に前から僕が食べたくて食べたくて仕方なかったものがある。それは納豆である。
納豆は最強の食べ物だと考えている。この世の中には美味しい食品が数え切れないほどあるが味、値段、健康にいいかなど様々なことを考えた時にそれらのレベルをクリアできる食品たちはいくつあるのだろうか。
美味しいものはたくさんあっても揚げ物だったり甘いものだったり健康面を考えると全てにおいてバランスが良い食べ物はあまりない。
しかし納豆はどうだろうか。美味い不味いは人によって大きく分かれると思うが。特に納豆は。しかし僕は納豆の味は大好きなので味、健康面、値段全て基準値をクリアしている。こんな食べ物はなかなかない。そして僕はカナダに来てから納豆が食べたくてしょうがなかった。
小学生や中学生の頃、親が仕事から帰ってきて夜ご飯を作るで待ちきれなかった僕は毎日のように納豆ご飯を食べていた。そう納豆で育ったと言っても過言ではないのだ。
そんな僕の人生から急にカナダに来た途端納豆が消えてしまったため食べたくて仕方がなかった。
半年ぶりくらいだったので贅沢に二パック使って丼のようなお皿にご飯もたくさん装った。
久しぶりに食べる納豆はそれはそれはもう美味しい以外の言葉では表せないくらいおいしかった。それと同時にこの感動を与えてくれたあの日本人の方に感謝の気持ちが溢れていた。そして納豆を食べながら納豆くらいでこんなに幸せを感じられるんなら人生結構いろんなことで幸せ感じられるんじゃねーかと考えていた。
納豆ぐらいで感動するなんて幸せのボルテージがかなり低いと思う。
納豆くらいで感動するなんてこれからの人生たくさん感動するんだろうなというワクワクも納豆は僕に与えてくれた。
納豆について熱く語ってしまったがまあ久しぶりに日本食を食べることができてとても嬉しかったし自分が日本人であることを再確認できた日でもあった。
ありがとう。あの日本人。ありがとう納豆。お前のように粘り強くこの世の中を生きていくよ。。
若気の至り
成人を迎えてから歳を取るスピードが圧倒的に早まっている気がする。十代の頃よりも。
十代の頃は大人の人たちに20すぎてから歳を取るのがあっという間だよとか30過ぎるともっと早く感じるよとか言われてもそんなの何歳でも変わらないでしょとか思ったりしていたが今になって彼らの行っていたことは正しいと思える。
たまにふと自分の歳を考えたりするとあれ?いつの間にこんなに歳をとった?とかなんか月日が経つの早くない?とか最近では思う。
歳だけではなく生活について考えてみても数年前普通にやっていたようなことが今では昔はあんなに元気だったなあとか思っちゃう時だってある。
そんな感じで今日思い出していたのは19歳だったあの頃。友達がバイクの免許を取った時のこと。
十代の頃なんてオールとか夜更かしなんてガンガンしていたし寝てるよりも遊んでいる方が全然楽しいと思っていた。今でもオールをできないこともないが次の日の疲労は十代の頃とは全く違うと言ってもいいくらいオールをした次の日は体調が悪くなる。
寝る時間を削ってでも友達と遊ぶことに夢中だった頃の僕はよく友達と夜中に集まったりしていた。そんな僕らがはまっていたのが学校、バイトなどを終えたあと深夜0時頃に集合しストリートバスケのコートに行き深夜にバスケをするということ。
今じゃそんな気力ほぼないと言っても過言ではないくらいだが当時はよくみんなで夜中にバスケをしていた。
そんなある日いつものようにみんなで集まりいつものようにバスケをしていた。大田区にある深夜でもライトが付いていてバスケができるコートに集まりみんなでバスケを楽しんでいた。3〜4時間ほどバスケをしてそろそろ解散しようかという話になりそのコートでそれぞれ解散した。
たまたま僕と家の方角が同じだった仲のいい友達がいたのだがkれは最近バイクの免許を取ったということでバイクでコートまで着ていたため帰りにその子が送ってくれることになった。免許取り立てということもあり少し不安はあったがバスケして汗をかいた後のバイクはとても気持ちよかった。
そして家に二人で向かっている途中とても大きい交差点に突入した。一応不安だったため僕も前を見て後ろに乗っていた。その大きい交差点で信号が赤になったため信号待ちをすることになったのだがあの交差点は普通の交差点とは少し違い特殊な交差点だった。具体的にいうと停止線が普通の交差点よりだいぶ手前にあったのだ。信号機と停止線との距離が普通の交差点よりもだいぶ距離があった。
僕にはその停止線が見えていたのだがどうやら運転手の彼にはそれが見えていなかったらしく普通に信号は赤なのに停止線を通り越してしまっていた。しかもそれなりに速いスピードで。僕はとっさに、おい!停止線越えてるぞ!とそいつに叫んだ。すると彼はやばいとお思ったのか急ブレーキをした。
あまりにもスピードが出ていたためかバイクはステント綺麗に横転し僕らは道路に投げ出された。あまりにも一瞬のことすぎてあまり記憶にないのだが今でも傷が残っているくらい強く道路に投げ出されてしまった。半袖半ズボンだった僕らはひじやひざをすりむいてしまい血だらけになってしまっていた。
道路に投げ出された後何が起きているのか理解できていなかった僕はとりあえず起き上がった。それと同時に僕が持っていたペットボトルがコロコロと僕の横を転がっていった。すると次の瞬間僕から1メートルくらいしか離れていない隣の車線に大きな虎クックが通り一瞬でそこにあったペットボトルを踏みつぶし中に入っていた液体が僕に飛び散った。
トラックが走り去った後ようやく我に返りあのペットボトルがもし自分だったらと想像し震えが止まらなくなった。とりあえず速攻でバイクを起こしその友達と道路のはじのほうに移動した。その友達はというと僕と同じで所々すりむいて血を流していて未だによく状況が読めていないような感じだった。
すぐに近くのコンビニに行き血を洗い流しに行った。その時にトイレで自分の顔を見たのだが今まで見たことのないくらい顔が青ざめていた。あまりにも気持ち悪いくらい青ざめてしまっていたためほっぺを摘んだりして生きてるよな?とか確認してしまったほど。
二人とも軽い怪我はしてしまったものの生きているということを確認しよかったとはならなかったが不幸中の幸いだと思った。
今思い出すと若気の至りというかノリだけで行動してそんなことになったんだなあと改めて思う。そもそも夜中にバスケしてそのあとバイクの運転なんて眠さと疲労がハンパなかったと思うしノリでバスケしよーぜという話にならなければそもそもこの事故は起こっていなかっただろう。あの頃は特に深夜遊んでいたため神様からの忠告だったのかもしれない。死ななくて本当に良かったとひたすら思った。
今はみんなそれぞれ仕事だったり色々で夜中に集まってバスケしたりしようなんてことはないと思うが若さゆえの出来事だったと思っている。
ノリと勢いで命を落とすことだってあるだろうし若者には気をつけていただきたい。
そんなようなことを今日十代の頃を思い出して考えていた。
とりあえずバスケは夜中にするものではない。これは確実にあの日学んだ。
初の店番
アメリカに来てからもうすぐ一週間経つだろうか。
ここに来てから二日でホストがカナダに行ってしまったため火曜日まで一人でここに滞在している。
ホストは街に雑貨屋を持っているのだがこの五日ほどここにいないためその間なぜか僕がそのお店の店番をすることになった。
初めてその雑貨屋に行った時にそのお店の大まかな説明を受けた。置いている商品のジャンルや値段やレジ打ちなど。
ホストがそういう性格なのかゆる〜いお店なのかはわからないが商品によっては値札が付いていないのがチラホラある。こういうのはいくらなのかと尋ねると似たようなやつ探してそれと同じくらいの値段でいよと言われた。ホストの性格がゆる〜いのかもしれない。
大体の説明を終えこんな感じで大丈夫っしょと言われたが僕には一つだけどうしても不安なことがあった。それはレジ打ちである。まだアメリカに来たばかりで何円おコインがあって何円のお札があるとかそういうお金についてもあまりまだ理解できていないのにレジなんて僕にできるのだろうかという心配があった。クレジット払いだって今まで払ってきた経験はあるが払わせる側の経験は全くない。他にも接客で使うような英語も全然知らないのに本当に大丈夫だろうかという心配がとてもあったがホストは大丈夫、大丈夫と何も根拠のないことを言っていた。だんだんわかってきたがこのホストの大丈夫は僕にとって大丈夫ではないことが多い。とても心配だった。
そうして初の店番を任されたわけだが初日、とっても緊張していた。できるならお客さん誰も来ないでくれとまで願ってしまっている自分がいた。
しかしこの店は街の中にあるということもありお客さんは結構きた。
入り口のドアのチャリンという音がなるたびに僕の心臓はばくばくしていた。
ちゃんと接客できるか心配過ぎたためお客さんがレジに来るたびにまだ僕アメリカに来てから数日しか経っていないのに店番手伝ってるんですよ〜と先にいつミスしてもいいように保険をかけていた。
それを伝えたおかげでお客さんも理解してくれ僕のレジ打ちのスピードが異常なくらい遅かったりしても怒らずに待ってくれたりした。とても感謝だ。。。
それでも二日目くらいから徐々に慣れていき雑貨屋ということもありお客さんがいない時は店内を歩き回って僕自身もそのお店の商品を見たりして楽しむことができるくらいになってきた。
お客さんが来ると緊張してしまうのは今でも変わらないがだんだんとこの仕事を楽しめるようになってきていた。
この街は観光客が多いのか遠くから来たというお客さんが多かった。たまにこの辺に面白い店はないかと聞かれることもあるけれど残念ながら僕もこの街について全くと言っていいほど知らないため申し訳ないが毎回その人たちの力にはなれなかった。
最初はどうしようどうしようとなっていたりもしたが今では貴重な経験だなと思うしお客さんと会話したりするのも僕のいい英語の勉強になっているし残り二日間頑張りたい。
アメリカの国境へ突入
六月に入ってから一週間ほど経った。この一週間ほどでだいぶ状況は変わった。
先週までカナダにいたのだが今はアメリカに滞在している。アメリカ滞在の理由としてはビザの更新とプチ観光だ。
アメリカには中学校の時に一度来たことがあるがもう昔過ぎて楽しかったという記憶がぼんやり残っているくらいだ。しかも前は飛行機でアメリカに行ったが今回はカナダからなので陸路で入国するという新しい経験だった。
アメリカでのステイ先は以前のカナダでのホストの知り合いのお家である。カナダとかアメリカとかはコネクションが大切というか知り合いなどのつながりで仕事やステイ先などが見つかったっという話をよく聞く。僕も前のホストに出会えたおかげで今アメリカに滞在日無料でステイすることができている。
アメリカに行く当日、前のホストがここの家まで送ってくれたので彼女の車でバオーダーラインに向かった。バンクーバーからボーダラインまでは30分もあれば行くことができる。すぐにボーダーラインについた。
国境の間に立っている建物は日本の高速の入り口のような感じだった。ゲートがいくつかありそこの横に小さいボックスのようなものがありそこにスタッフが立っている。
そこでスタッフにパスポートを渡した。カナダ人がアメリカに入国するのは他の国からアメリカに入国するよりも断然楽だそうでホストはパスポートを見せて入国の目的とかを聞かれてすぐにOKと言われていた。
しかし僕の場合はそう簡単にはいかなかった。僕のパスポートの中身を見るなり駐車場に車を止めて荷物全て持って建物の中に来いと言われた。ここのスタッフは皆強いかををしている。顔が強いというより重要な仕事のためかみんなギラギラと目を光らせ怪しい奴が入国しようとすれば一瞬で捕まえてやるからなと言わんばかりの険しい顔をしている。
そんな人に中に来いと少し強めに言われたので僕は結構緊張していた。
恐る恐るホストとともに建物の中に入るとさらに険しい顔をしたマッチョメンたちが5〜6人いた。
そのうちの一人と話すとどうやら僕のパスポートには日本出国のスタンプはあるがカナダ入国のスタンプがないということだった。
お前スタンプなしでどうやって入国したんだよとか強めに言われたけど僕はただ普通に入国したしスタンプがない理由もさっぱりわからなかった。
そう伝えるとじゃあビザ見せてと言われた。
僕はこの数ヶ月観光ビザでカナダに滞在していた。観光ビザというものは特に紙とかそういう証明できるものというか形あるものではないと完全に思い込んでいたし空港で観光ビザの紙を渡されたわけでもなかったので何も証明できるものを持っていなかった。
カナダに住む友達にあとで確認するとどうやらその友達は観光ビザの紙を持っているそうでどこで手に入れたの?と聞くとワーホリが終わったと同時に家に届いたと言っていた。
そんな感じでトラブっていたのだが方法が一つあると言われた。
それは今持っているけどまだ発行はしていないワーホリのビザをカナダ側に一度戻り、発行してから入国するという方法だった。
今からアメリカに入るというのにカナダのワーホリをスタートさせてしまうのは嫌だったがそれしか方法がないというならそれに従うしかなかったのでもう一度カナダ側に戻り、ワーホリのビザを発行した。
その発行するのにも30分ほどかかってしまいトータルでは結構な時間がかかってしまった。ホストには待たせてしまって申し訳なかったがその後無事入国することができた。
そこからアメリカでのステイ先に向かったのだが港町にある綺麗なおうちだった。以前のホストの知り合いということでここも犬のレスキューをしている。具体的にいうと何らかの理由で行き場がなくなってしまった犬や捨てられてしまった犬たちをこの家で保護し、次の飼い主が見つかるまでの間ここで飼っているといった感じだ。
何より驚いたのはその犬たちの数。今は合計47匹いるらしい。以前のところでも20匹前後だったためさすがに47匹には驚いた。
そうして数週間ほどのステイが開始したわけだがここは何かと大変そうだ。朝と夜犬たちにご飯をあげると言っても数が数なので大掛かりな作業だ。慣れるまで時間がかかりそうだが動物園の飼育員になったような気持ちで少しワクワクしている。
少しでも多くの犬の名前を覚えられるように頭をフル回転させて頑張りたい。
犬はやっぱり天使
平和な日が続いている。
前のステイ先を離れバンクーバーに帰ってきたわけだが、犬たちと広大な自然と共に平和な毎日を送っている。
前のステイ先を去るとき結構悲しかった。あそこの自然は一生忘れないだろうというくらい大好きだったしホストも色々お世話になったということもあり寂しいお別れであった。
前のステイ先からバンクーバーまでは4時間ほど車でかかるのだがその車の中で最後にたくさんの話をホストとした。カナダの話やこれからのこと、行った方がいいめちゃくちゃ綺麗なところなどなど。
そしてバンクーバーにつき彼と熱いハグを交わした。街ゆく人々が見ても、こいつらは強い絆で結ばれているんだろうなとわかるくらい熱いハグをした。別に一生バイバイってわけでもないし今度また遊びに行くと約束した。
そして以前のステイ先にまたお邪魔させてもらっているわけだが、相変わらずみんな元気にやっていた。というかにはの木や草や花などが緑色に染まりたった一ヶ月ぶりに帰ってきたのに一ヶ月前とはかなり変わっていた。
25匹の犬や人々は相変わらず元気にやっていた。少し前より暑くなってきていて犬たちも暑そうにしているが皆元気で何よりだ。
そしてやはりここの自然も美しい。周りにこの家以外ほぼ何もないため鳥の鳴き声や風で揺れる木々の音やらが聞こえてとても気持ち良い。空気も最高だ。
前のステイ先がカナダで一番暑いところだったということもあり少し肌寒く感じたり曇りがたまにあるのに違和感を感じてしまうがまあまたすぐそのうち慣れるであろう。
一ヶ月間犬などの動物から離れていたわけだが(野生動物を除く)やはり前のところに指定している時は犬が恋しかった。僕の人生にやはり犬は欠かせないのかもしれない。
実際にここに帰ってきてたくさんの犬と触れ合うととても元気が出るしひたすらみんなかわいい。
今この犬は何考えているんだろうとか、今何を見ているんだろうとか考えるのが以外と好きなのかもしれない。犬とは何時間でも一緒に入れる気がすると言っても過言ではないくらい。
ここにどれくらいいるかはまだ決まっていないが、ここにいる間は犬とたくさん触れ合って自然の美味しい空気をたくさん吸って、生きている喜びをかみしめながら過ごせたらなあなんて考えている。
まだまだ家の近くのハイキングコースとか行ったことないところも結構あるからその辺もしっかり楽しんでいきたい。
車がパンク
さあ今日はここで過ごす最後の日だ!って感じのテンションで今日が始まったがホストが予定を変更したらしく、ここを去るのは31日になり一日前の予定よりも延長された。
今日は最終日ではなくなったということで働きましょーということでホストはたくさんの仕事を僕らに与えた。
今日も仕事で一日家を留守にするということで朝僕らの仕事を一つ一つ説明してくれた。まずここの花壇の草取りをして〜、この草刈機を使って芝生のところ全部除草して〜、あ、この除草機はこうやって使うんだよ〜。そして最後にこの階段のところを除草してもらえれば今日の仕事は終わりだよ〜と最後にニコッとホストは笑った。
ふむふむと友達と聞いていたがホストが去った後に二人で気づいた。
今日の除草ばっかやーん。
草取りばっかだけど頑張ろうと話し仕事に取りかかった。僕はあの友人のアメリカ人が考えていることをわかっていた。なぜなら僕も同じ考えだったから。
それはいち早く仕事を終わらせ自由時間を1分でも早く得ること。そのために僕らは猛スピードで草取りを頑張った。今日は早く仕事を終わらせて街に遊びに行くんだ。
頑張った甲斐もあり昼ちょい過ぎには全ての今日の仕事が終了した。お昼ご飯をサクッと食べすぐに街へ向かった。
まずホームセンターに行き僕らが最近はまっている木を削って何か作品を作り出すという作業に必要なヤスリやワックスを買った。必要なものも買ったし、今日も暑いしどこかカフェにでも行ってデザートを食べようということになり駐車場に向かったのだが、何と何と車の前のタイヤがパンクしているではないか。
最初は二人して固まってしまった。どうゆうこと?どうやって帰るの?車のタイヤ変えたことある?いや、ない。こんな感じの会話をした。原因は多分石。うちの近くの道路は急斜面のようなところに面しているところがとても多く、上から石が道路に転がってくることはしょっちゅうありいつも尖った石や馬鹿でかい石が道路に転がっている。
どーすんのサーーーってなっていたところで僕らがどれだけ考えても経験ない二人だしわからないしさっきのホームセンターの店員さんにどうしたらいいか聞いてみようということになった。
店員さんに聞いてみるとどうやらすぐ近くに自動車屋さんがあるそう。そこに持っていけばなんとかしてくれると思うよと言われその自動車屋さんに向かった。
自動車屋さんに着くとすぐにおっちゃんが来てくれた。パンクしてとりあえず後ろに積んである予備のタイヤを付けたいということを説明してやってもらうことになった。
作業している途中でいきなり自動車屋さんおおっさんが君日本人?と僕に日本語で聞いてきた。いきなりの日本語だったため、おぉとなってしまったがそうですよと答えた。
このおっちゃんサングラスかけているプラスめちゃくちゃ真っ黒に日焼けしていたため僕は日本人だと気付かなかったのだがどうやら日本人らしい。もうここで20年以上自動車屋さんをしているらしい。この街に日本人がいるのは珍しいと嬉しそうに言っていた。日本人が。
おっちゃんの技術のおかげであっという間にタイヤを交換してもらいあっというmに車は復活した。作業している間に日本語でいろいろ話した。久しぶりに誰かと話した日本語はとても話すのが楽に感じた。そして最後にはにいちゃんが日本人だからお金はいらないよと言ってくれた。僕はこれほどかというくらいそのおっちゃんと強くハグをした。
カナダに来てから日本人でよかったと思う時が日本に比べて多いわけだが今日も思った。なんか色々疲れた一日だったけどとりあえずやっぱり日本人最高。