Living my life

カナダ生活、日々思うこと、様々です。将来どころか明日も見えていない。これだから人生は楽しい。

人生の定規

昨日の夜は熱い夜であった。

日曜日ということでホストも仕事が休みだったためゆっくりすることができた。

お昼にスーパーに買い物に行き、お菓子などを買ってお昼過ぎからお酒を飲んだ。

 

 

こういうことをするのは日本に住んでいた時の春に友達とお花見に行ったとき以来なんじゃないかというくらい久しぶりである。

お酒は好きだけれどお昼から飲むということは気づけばほとんどしてこなかった。

 

 

そんな感じで久しぶりにお昼からお酒を飲む優雅な休日をゲットしたわけだが、ひたすらホストと話していた。人生について。

 

 

たまに僕から見ると大人だなあと思うくらいの歳の人と人生について語ることがあるのだがそれは僕にとっていつも良い経験というか心に残る。

 

 

ホストはお酒は好きだがそこまで強くはないタイプでありすぐに顔が赤くなりベラベラと話し出した。

僕に話してくれたのは人がそれぞれ持つ定規について。

 

 

定規と言っても長さを測る本物の定規ではない。人生を定規にたとえているということだ。

 

 

僕も経験があるのだが、世の中には本当にたくさんの人がいてそれぞれがそれぞれの考えを持っている。そしてたまに自分の意見をものすごく押し付けてくるタイプの人間がいる。例えば僕は将来こんなことをしたいとか夢について話すとそれはやめたほうがいいとかもっと違うことをしたほうがいいとかあからさまに否定をしてくる人たちだ。

 

 

若者はこうでなければいけないとか僕らが君らくらいの時は〜、とか言ってくるような人たちだ。

 

 

 

そして今日ホストが話していたのが自分より年上の人たちや自分より成功している人たちが言ってくるそのようなことは本当に気にしなくていいということ。

 

人間は皆一度しか人生を歩めないし、その人によって人生は様々だ。いろんな体験をしたり経験をしたり人によってみんな違う。だからそのそれぞれの経験などでできた定規で人を測ることはできないのだ。

 

 

もし仮に夢があってそれを他の人に行ってそんなのうまくいかないよと言われたとする。でもそれを言った本人の人生の定規のメモリにその夢の経験はない。もちろん同じような夢を持っていて実際に自分がやろうとしていることをすでにやっているような人に聞いてアドバイスをもらうというのは実際にその人も同じようなことをしているため参考にはなるがそうではない人にそれは無理だとかいうことはできない。

 

 

確かに自分よりも長く生きている人とかにそんなに厳しくないと思うよとかその人の人生経験を踏まえた上で言われることに関してはそれも参考になる。

 

結局何が言いたいのかというと自分の人生なんだし自分と同じように生きてきたり、生きていく人は誰もいないしやってみなきゃわかんないことだらけだということだ。あくまでも参考にはなるというだけで確信なんてどこにもないということだ。

 

そんな感じ話をホストは僕にしてくれた。世の中にはすごい短い定規しか持っていないのに人に意見してくるような人たちもいっぱいいるけれどそういう人たちは気にせずに頑張ればいいのよと笑顔で言っていた。

 

僕もその通りだと思った。いろんな人からいろんな情報だったりアドバイスをもらいながら自分オリジナルの定規を作っていくことが人生だなあと思った。

 

こうしてホストが僕に話してくれている間にも僕の定規は少し大きくなったであろう。

明日からも頑張っていきたい。