十人十食
人種が違うというのは大きな違いという人もいるが僕はそう思わない。
カナダに来て色々な人種を見るようになった。
こいつ同じ人間か?と思うくらい鼻が高くて羨ましくなったりする回数も増えた。
今の時代、見た目だけでどこの国出身か当てるのは難しいくらい色んな国に色んな人種が住んでいる。
例えば同じファームに住んでいるドイツ人の女の子。
彼女の見た目は明らかにアジア人だ。
でも彼女はドイツで生まれドイツ人である。
聞いてみると親がベトナム人らしい。
ドイツ人だということに最初はびっくりした。
日本人は他の国に比べて、他の人種との交流の機会が日本に住んでいるとめちゃくちゃ少ないんだなということをカナダに来てからかなり実感した。
今まで日本で日本人と生活してきて、自分の生活に海外の人が深く関わるということはなかったが、カナダはそれが普通である。
今じゃ、街で日本語を聞くと
お〜、日本人はおるぞ。
と思うくらいだ。
この前食事会てきなことをした。
15人ほど集まりよろしくお願い申し上げます。ごはんをみんなで食べたりした。
その時に来ていたカナダ人のおじさんがドイツ人の女の子に、
中国のどこ出身なんだい?
と質問をした。
彼女は顔を曇らせて、ドイツ出身ですと答えた。
おじさんはその質問をする前に少し中国人の悪口を言っていた。
その後にその質問をしたのだから、女の子の顔が曇るのは当たり前だ。
確かにカナダにはたくさんの中国人がいる。そりゃあいい人もいれば悪い人もいるだろう。
でも人種の悪口を言うのは良くないし、顔を見てどこの国の人か予想するなんてことはもう今の時代、できないなということを感じた。
でも逆に僕は同じ地球なのにここまで変わるかといつも新しい人と会うたびに楽しんでいる。
髪色も全然違うし顔つきなんて全然違う。
しばらく僕は色んな人種を見ながら違いを感じ、楽しむことができるだろう。
まあで食べ物も全然違うし見た目が同じじゃないのは当たり前か。
昨日、夕食にお肉とサラダが出た。
美味しい美味しいとみんなで食べていたが、僕だけは
ここに白米あったら完璧な組み合わせすぎてやばいんだろうなと、ご飯を食べながら他のご飯を想像するという普通じゃありえないことをしてしまっていた。
どう考えてもこれご飯に合うよね?とみんなに聞いて回りたいが、共感を得られないのはわかりきったことだ。
本物の日本人なんだ僕は。と確信した日でもあった。
ご飯について共感を得られなかったとしても他のことで共感できることがあるから、多分それでいいんだと思う。
ご飯にこだわらなければいくらでも共感できるのだ。多分。
新しい言葉を思いついてしまった。
十人十食
そう。こういうことだ。
色バージョンの同じフレーズを聞いたことがあるが気にしない。
これはこれで意味が成り立っている。
カナダにいながら新しい日本語の言葉を作り出すという偉業を成し遂げてしまったようだ。
我ながら素晴らしい。
食べ物は違えど人は人、人種が違えど人は人。
こういうことだ。今日は冴えている。
もっともっと違いを感じながら日々生きていきたい。