佐々木希妊娠報道から考える
佐々木希妊娠。。。
ついに来たか。結婚のニュースを見たときに次この夫婦がニュースになるときは妊娠のときだなと思った。
僕は以前彼女に恋をしたことがある。
もちのろん片思いだ。
中学一年生蔵の頃だったかな。
テレビの中で微笑む彼女に恋をした。
そのときは現実の彼女もいた。
なぜ好きな人がいたにもかかわらず彼女に恋をしてしまったのだろうか。
その理由は簡単。彼女が美しいから。
僕はたまにテレビの中の女性に恋をする。でもそれは現実世界でしている恋とは少し違う。
違いは隣にいてほしい人と眺めていたい人という違いなのだと思う。
現実世界でできる彼女はそばにいたいものだ。
デート後のバイバイは悲しい。
しかしテレビに出てくる女優たちとはデートをしたりずっと一緒にいたいとは思わない。
ただ眺めていたいのだ。
言ってしまえば家にある置物に近い存在だ。
ボケ〜と眺めて美しいなあと感じる。
それが楽しいのだ。
恋とは違う気もするが僕は自分の中でこれをまた一種の恋だと呼んでいる。
ファンイベントに参加するのかというとそういうのにはいかない。
なんならあんまり話したいとは思わない。
もちろんどれだけ美しい見た目を持っている人でも中身をみんな完璧というわけではない会話などをすることによってその人の中身が分かり、見る目も変わることもある。
ただ眺めているだけなら完全に僕の自由だ。
自分の中で勝手にこの人はこんな人なんだろうなと想像を膨らませたりして楽しんでしまっている。
そうただの自己満なのだ。
ちらっと聞いたことがあるのだが、佐々木希は元ヤンだったとか。。。
悪い人には見えないが僕のイメージとは違う可能性も少なからずある。
偶然道端であったとしてどのような会話なら僕のイメージに一番近くのだろうか。
『お綺麗ですね。応援しています。』
『あら。ありがとう。ニコッ。』
うーん、少し違う気がする。
『お綺麗ですね。応援しています。』
『うるせーよ話しかけんなタコナス。』
流石にありえないか。どヤンすぎる。
でも少しツンツンしている彼女の方が僕は好きだったりするかもしれない。
『お綺麗ですね。応援しています。』
『ついてくるなよ。やっちまうぞ:)』
このくらいがいいのかも。最後のニッコリマークは重要。
見た感じ幸せそうだし、もっと優しい人なのだろう。
そしてこの世に対する不満なのだが、男性が女優などの芸能人のことを可愛い可愛い言いすぎると気持ち悪いのは何故なのだろうか。
女性ならどれだけかっこいいと言っても気持ち悪くはない。
これは自分でも思うことがある。
この芸能人可愛いなとずっと考えていると、なんか自分気持ち悪っ。と思うこともある。
何の違いなのだろうか。
話は少し変わるが誰もが一度は人生の中で芸能人になりたいと思ったことがあるだろう。
僕も数え切れないほど思ったことがある。
でも最近思うことがある。
芸能人にはなりたくない。
なれるなれないの話の前に小さい頃はかっこいいなあとかちやほやされていいなとか思っていたが、実際それはいいことなのだろうか。
僕の人生に自由は欠かせない。自由に楽しんで生きていきたい。
けど彼らが自由に楽しめているかと言われればそうではないだろう。
どこへ行くのも大変だし、公園で立ちションなんて一生することはできない。
しかし今の僕なら何回立ちションしようが関係ない。まさに自由だ。
逆に言えば彼らはそういった自由を捨て去るという覚悟のもと活躍しているのだ。
せっかく人より整った顔や優れた才能を持っているのに自由ではないと考えると少しかわいそうだ。
これも神が定めたのだろうか。
顔も完璧、立ちションもし放題だとあまりにも他の一般人に比べて最高すぎる。
一般人だから立ちションぐらいしていいよという神の声なのだろうか。
幸いなことに僕は彼らより自由だ。この自由をかみしめながら人生を歩んでいきたいものである。
結論としては
佐々木希美しい。渡部は幸せだが立ちションはできない。彼らは僕の持っていな多くのものを持っている。
でも僕は自由に立ちションができる。
*公園での立ちションはやめましょう。