日曜のお昼だけど考えちゃう
お昼ご飯を食べ終わった後に外の芝生の上に座りながらぼんやり考え事していたら色々なことを思った。
毎日普通に生活していると本来の目的というか目標を忘れかけてしまっていることが僕はちょこちょこある。しかしそれは決して悪い意味での忘れているではない。
例えば僕がそもそもカナダにいる理由は語学留学である。留学というといつかは日本に帰る感じではあるが帰るかこの地で生きていくかはまだわからない。語学留学というとその決められた期間でどれだけ英語力を伸ばせるかというのが一番重要になるはずだ。しかしその姿勢は僕は苦手である。期間が縛られるのも嫌だし、勉強漬けになるのも嫌だ。そして僕は今の留学スタイルにした。いきなり何も知らないままネイティヴの家に住み込んで毎日英語を使うことで勉強という概念を少し無くした勉強方法だ。そのためたまに『そういえばここはカナダで語学を学びに来ているのか。』とぼやけていたものを思い出すことがある。それを忘れてはいても毎日英語を使わなければいけないのには変わりはないので特に問題はない。
そして気になる成果というとまあまあ順調であると思う。普通の会話はできるようになってきたし、わからない単語もちゃんと意味を聞いてそれを理解するぐらいまでにはなってこれた。書きまくる勉強ではなく話しまくる勉強なので相手が使っている新しい表現などを発見するととても楽しい。僕にはやはりこういう勉強方法の方が向いているようだ。
そんな感じで順調に四ヶ月目くらいを迎えようとしているのであるが、今日改めて気づいたこともある。
それはお金を稼ぐということである。まあ仕事ということだ。カナダに来てから僕は一度も働いていない。正確にはお金をもらう労働はしていない。毎日手伝いはしているがそれは仕事ではなく、あくまでも手伝いである。
働きたくても働けるビザを持っていないため法律上働くことができない。がしかし、今の生活にお金は1円もかからない。手伝いの代わりに生活がもらえるのでお金を稼ぐこともなければお金を使うこともほぼないというのが今の生活だ。
周りの同世代の友達たちは皆就職先を探している、お金を稼ごうとしている中でぼくはお金を稼がない生活を送っているわけだ。
お金を稼がないということは使える額が貯金以外にないため物欲の面では少し不満が出てきてしまうこともあるが、その代わり仕事というものから完全に解放される。今東京に戻って朝の満員電車に揺られて仕事に行けるかと言われると完全にいけない体になってしまった。ここに来て自然を感じお金や仕事のことからも解放されて生活している感じになってしまったから。
たくさんの人が思っていると思うが日本は働き過ぎの国である。もう少し人生の中で働かない時間を増やせればもっといい国になると思う。働くということは生きてゆく上での生存方法である。生きるためであって決して働くためになってはいけないと思う。
ここカナダに来て仕事から離れて色々なことに気付けていることに感謝の毎日でござす。
たまには生きてる意味について考えてみるのもおもしろい。