生きている本来の意味を犬から学ぶ
先週から面白い犬が来た。
来たと言っても数週間だけだが。
ここの家にはちょくちょく人の犬が来る。
大体の理由が、飼い主が少しの間家を離れるからとか、旅行に数週間行くからとかそういう理由でここに来る。
飼い主が旅行に行ってしまったために、この家に数週間することになったポージー。
3歳の女の子。いや女の子というよりは女性だ。
毛の色が金に近い茶色で目の色も茶色、顔も可愛くて大きさは中型犬といったところだ。
彼女は家に着くなり他の犬とは違う動きを見せてくれた。
この家にはもともと27匹の犬がいるため、車で家に到着すると27匹の犬が一気に囲みこいつは何者だということでクンクンし始める。
大体の犬はこれにビビってしまい青ざめた顔で立っているのだが、ポージーは車からジャンプで飛び降りるなり、あたりを駆け巡り出した。
元気100%ですという声が聞こえてくるような動きをしていた。
そんな感じでポージーはこの家の一員になったわけだが、普段の生活でも彼女は普通の犬とはかけ離れていた。
毎朝六時には僕の部屋の前か隣のおっちゃんの家の前で待機。そして僕らを見つけるなり、投げろ投げろと口にいつも加えているテニスボールを突き出してくる。
朝といえば僕もおっちゃんも27匹用の朝食の準備をしなければいけないとあって、ポージーと遊んでいる暇はない。申し訳ないがそのままスルーする。
そして朝食の準備。27匹の犬のほとんどがクレイジーになる時間だ。
ほとんど犬が吠えまくりご飯をくれご飯をくれと訴えてくる。
もはやみんなが吠えてるからお前吠えているんじゃないのか?ってくらい変なとこ向いて吠えている奴もいるが。
そんな中、ポージーも吠え散らかしているのだが、彼女だけは吠えている理由が違う。遊んで欲しいのだ。いつものようにテニスボールを突き出している。
やっと朝食タイムが終わるとポージーの待ちに待ったお散歩タイムだ。ご飯を食べ終わった瞬間玄関に走っていき散歩に向けて待機している。
彼女の最も好きな遊びがテニスボールでの遊びである。ただ投げたり蹴ったりして飛んでいったボールを取って帰ってくるというシンプルな遊びだ。
散歩途中ポージーは完全にクレイジーになる。テニスボールを僕の足下に置き、投げろ投げろと吠え散らかす。そして投げて、取りに行ってを繰り返しているうちにポージーは疲れ果てもう遊びたくないと思うと口に挟んだテニスボールを離さなくなる。
完全に彼女は人文の遊びたい時に遊びたいだけ遊んでいるのである。
しかも投げる前の早く投げろという意味であろう叫び声はなかなかボリュームもでかく、近所迷惑にもなるため一度ポージーが投げろと叫んだボールはほぼ投げてあげなければいけない。
そんなポージーだが、面白い点が一つある。それは人生において遊びは彼女の全てであるということだ。
普通の犬とは違い、ポージーは道などで人や他の犬に会っても見向きもしない。ただ僕の方を見て遊ぼうと訴えてくる。
食品を無視する犬など見たことないが、彼女は食べ物にも興味が全然ない。
ただ遊ぶために毎日を生きている。
そんな彼女を尊敬している。自分が人生で最高と思えることをただただやるのみとも言わんばかりの彼女の性格は素晴らしいと思う。きっと死ぬ前には人生で一番好きだった遊びをひたすらしてひたすら楽しんで全く後悔のない人生だったなあと思えるに違いない。
そういったものを持つ大切さや生き物の本来の生きている目的を彼女から学べた気がする。
一つ問題点があるとすれば、彼女の飼い主になった人間は人生の半分以上を彼女の遊びに費やされてしまうということだろう。