コーヒーとおばあさんの関係に迫る
コーヒーが大好きだ。
毎日飲んでいる。
夜も飲みたくなる時が度々あるくらい。
住む家を転々としていると、その家によってコーヒーが全然違う。
前回の家のコーヒーはとても苦く僕はめちゃめちゃ好きだった。
今のうちはというと、とても薄い。
色は黒だが水にコーヒーの味をちょっとつけました。みたいなコーヒー。
豆も違うし、作り方も違う。
その人のスタイルが出るのだ。
前の家の人はとっても濃くたまに豆を挽いた粉が入ってる時があるくらい濃いのが大好き。
心からコーヒーを愛し、粉から取れる美味しい成分全てを抽出しようとするその姿勢はコーヒー農家もさぞ喜ぶであろう。
今のうちのばあさんのスタイルはコーヒーはコーヒーだけれどもコーヒーに対する熱意が前の家の人よりはない。
コーヒーはあくまでもコーヒーなのだ。
とりあえず匂いもコーヒーだし、味も少しコーヒーだから、これはコーヒーだ。とゆう感じだ。
彼女はコーヒーを飲まない。
入れてくれるが自分では飲まない。
だから彼女の中でコーヒーはそこまで大事なものではないのだ。
個人的にはもっと濃いのが飲みたいのだが、毎朝入れてくれるのにそんな文句を言うわけにはいかない。
見た目より中身。
人に対してこの言葉を使う人を数回みたが、この言葉は完全にコーヒーのことだ。
見た目は真っ黒。
見た目は美味しそう。
飲んでみるとそうは限らない。
よーし、今日もコーヒー飲んで頑張りましょか〜。