辞書の作者の知識の量最強説
先日英和辞典を眺めていた。
特に調べ物をしていたわけではない。
昔はよく辞書を使っていた。
使いたくて使っていたわけではない。
中学校や小学校の授業で数回使ったのと、家で数回使っていた程度だ。
今のこの時代では分厚い紙の辞書を持ち歩かなくとも携帯一台で調べようと思えば調べられる。
特に辞書を使っていたわけではないのになぜか現代人の紙の辞書離れは悲しいものである。
そんな辞書だが、辞書にも作者というものの名前が載っている。
果たして作者という呼び方があっているのかはわからないが、そこはそれほど重要ではない。今回は作者と呼ばせていただく。
思ったのが、辞書の作者ってすごくね?ということだ。
考えたことなんてない人がほとんどだろうが、彼らはとてつもなくすごい人たちなんじゃないだろうか。
辞書を使う目的としてはその単語などの意味がわからなかった時に調べるために使うものだ。
使うひとたちすべての『そうなんだ。』が詰まっているのである。
日本人の中で『知識多いランキング』というランキングを作成したとしよう。
必ず上位にくるのが、この作者たちであると思う。
僕なんて下から数えた方がいいくらい何も知らない人間だが、彼らは胃xr伝仕舞えばほとんどのことを知っていると言っても過言ではない。
しかし、辞書の作り方がよくわからないので、本当に彼らは辞書に書いてあることすべてを知っていると断言はできないが、普通の人間の何倍とも言える知識を持っているはずだ。
言い方を変えれば日本でトップクラスの『そうなんだ』所持者とも言える。
一度でいいから話してみたい。何か尋ねるたびに、そうなんだ〜と納得していしまうだろう。
それはもはや人間と会話しているのではなく、IphoneのSiriやロボットと会話している状態に近いのかもしれない。
そんな人間がこの世界に存在するとなるとこれまた面白い。
これだけの知識の差が同じ人間でもあるのだ。
誰と話しても、そうなんだと納得。
あれってどういう意味なんだろうね。という会話がほぼなくなる。
むしろいろんなことを知りすぎて何もかも論理的に話してしまって長時間の会話はこちらがきついという可能性もある。
その作者と旅行に行ったとする。
どこか地方の観光名所のお城を見て
この城すごいなあ〜とつぶやくと彼の説明が始まる。
敵襲を防ぐための軍事施設。古代には朝鮮・蝦夷 (えぞ) 対策のために築かれ、中世には自然の要害を利用した山城 (やまじろ) が発達したが、このころのものは堀・土塁・柵 (さく) などを巡らした簡単な施設であった。。。。。
みたいな感じで説明が始まる可能性があるということだ。
さすがにここまではないと思うがこのようにベラベラ説明を始める可能性もあるということだ。
それはきつい。むしろいらない。
10分ほど簡単に会話がしたい。
本当に頭の中には辞書のようにたくさんの知識が詰め込まれているのか、それとも意外と辞書作成に携わっただけでそうでもないのか確かめてみたい。
とりあえずわかったことは彼らは『そうなんだ王』であるということ。